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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)1328号 判決 1954年11月19日

原告 小林彰 外一〇一名

被告 国

主文

被告は原告らに対しそれぞれ別表請求金額合計欄記載の金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告らは主文同旨の判決を求め、その請求原因として次のとおり陳述した。

(一)  原告らはいずれも横浜市中区並びに保土ケ谷区等に基地をもつ横浜陸上輸送部隊(以下単に部隊という)の駐留軍労務者として被告国に雇用せられていたものである。

(二)  原告らは神奈川県横浜渉外労務管理事務所長(以下単に横浜労管所長という)が昭和二十八年十二月二十六日なした後記の意思表示に基いて同月三十一日退職の手続をとり同日退職となつたのである。即ち同所長は同月二十六日「四十時間制の実施について」と題し、「昭和二十九年一月一日より標記四十時間制が既に各位において御承知通りの勤務計画(ワーキングスケジユール)をもつて実施されるので通知します。追つてこの勤務制度の下で、即ち一月一日より引続いて就業不可能な方は労働条件の変更に伴う退職として解雇手当及び退職手当が支払われますから十二月末日までその旨部隊総支配人または人事関係者にまで申出られたい」と部隊内に掲示した。そこで原告らは同年十二月三十一日右掲示に基き部隊総支配人に退職の手続をした。

(三)  横浜労管所長が右のように掲示をなした趣旨は、一週四十時間制に不服なものは、その旨を申出れば軍の都合による解雇(以下軍命解雇という)の場合と同額の退職金ならびに所謂予告手当を支払う趣旨であつて、これは民法第五百二十一条にいう契約の申込に該当するものであり、かつ右の申込には承諾の時期方法を定め、承諾の時期は昭和二十八年十二月末日迄、方法は部隊総支配人又は人事関係者と指定しているのであるが、原告らは右指定の時期に部隊貸与の衣服、パス、免許証をそれぞれ返還し、部隊直属の支配人に対して退職の申出をなし、承諾の意思表示が総支配人に到達したのである。

元来原告等駐留軍労務者は日米行政協定に基いて被告国に雇用されその労務を直接に軍に提供するものであるが雇用関係は純然たる私法関係に外ならないところ、調達庁設置法第三条、第九条、第十条、昭和二十七年七月三十一日政令第三百号(調達庁設置法第十条の規定に基き都道府県知事への委任事務の範囲を定める政令)、昭和二十三年四月二十二日神奈川県告示第百六十一号(昭和二十七年十月十四日告示第五七三号により一部改正、神奈川県渉外労務管理事務所設置規程)、昭和二十七年九月二十六日神奈川県告示第五四一号(昭和二十八年三月三日告示第八二号、同年六月五日告示第二六二号、同年八月四日告示第三九五号により改正、渉外労務管理事務所の名称・位置及管轄区域)、昭和二十四年十月二十七日神奈川県訓令第六十二号(昭和二十五年三月三十日、同年四月二日、同年七月十八日、同年八月四日、同年十月二十四日、昭和二十八年七月二十日改正、神奈川渉外労務者管理事務所処務規程)によれば、駐留軍労務者の雇入提供、解雇及び労務管理給与についての一切の権限は調達庁に属するものであるが同長官より右権限について一切の委任を受けた神奈川県知事は更にこれらの権限の行使を専ら横浜渉外労務管理事務所長に管掌させているから、同所長は前記法令に基き駐留軍労務者の雇入解雇その他の労務管理及び諸給与の計算支払をなす権限を有するのである。従つて横浜労管所長は労働条件の変更あつた場合退職について前記のような契約内容の解約の申込をなす権限を有するものである。このことは本件部隊と殆んど同時に勤務時間を一週四十八時間より四十時間とした第八〇〇一部隊において前記掲示と同様な軍命解雇の取扱をなしたばかりでなく、従来神奈川県においては労働条件変更の際の退職をすべて軍命解雇と同様の取扱をなしたもので調達庁長官においてこれを容認していた事績に徴しても明らかである。仮に右労管所長が法令上右のような権限を有していないとしても調達庁長官が右のような慣行を黙認していることから見て、暗黙に労管所長に対して右の権限を付与したものである。されば右の申込に対して原告らから承諾がなされたのであるから、ここに原告らと被告国との間に軍命解雇の場合と同一条件の解雇の合意が成立したわけである。そしてこれによれば、被告が原告等に支払義務ある解雇予告手当及び退職手当の金額は別表退職手当欄記載の金額の倍額と同予告手当欄記載の金額であるが、被告は退職金の半額を支払つたのみであるので残余の同表記載の金額の支払を求める。

(四)  仮に横浜労管所長において右の申込をなす権限を有しなかつたとすれば、予備的請求原因として次のとおり主張する。

横浜労管所長は同労管管轄地域内の米軍部隊に労務の提供をなすために必要な労務者の雇入及び解雇、給与の支払等労務の管理をなす権限を有するものであつて、労務者はすべて同所長との接渉により被告国との契約を締結していたのであり、調達庁長官もしくは神奈川県知事と直接に契約を結ぶとか、これらから給与の支払を受けるということはなく、又雇用契約上の意思表示並びに指示はすべて同所長もしくは同所長の委任する機関を通じて行われていた。したがつて原告らは同所長に右のような合意をなす権限を有していたものと信じていたのであり、またこのように信ずるにつき正当の理由あるものであるから、右の合意については被告国において責任を負わなければならない。ことに駐留軍労務者の給与は国家公務員法の一部を改正する法律附則第二項により講和発効前の連合国軍関係使用人の解雇手当支給規程により支払われているのであるが、この規程はたゞ内部的な基準を定めたに過ぎないのであつて個々の労務者には知らされず、原告らはたゞ労管事務所の所員の言によつて漠然とこれを想像し得たに過ぎない。しかも昭和二十七年十月の駐留軍部隊の移動に伴つて退職を申出たものに対してなした軍命解雇の取扱、昭和二十九年十二月中旬における米軍第八〇〇一部隊及び第二港湾司令部の労務者に対する四十時間制への切替に伴う退職申出者の軍命解雇取扱などの事例を聞知していたのであるから、同所長が同年十二月二十六日付掲示の方法で行つた軍命解雇取扱の意思表示を知つて、原告らが同所長には右掲示通りの取扱をなす権限をも有すると信ずるのは正当の理由あるものである。

しかして労管所長の地位は被告国の機関に外ならないものであるが、民法第百十条は法人の機関のなした行為についても類推適用があるべきでこの理は被告国の場合についても同様と解すべきである。同所長の行為がたとい権限外のものであつたとしても、同条によつて右行為につき責任を免れるものではない。

(五)  仮に右の掲示が契約の申込をなす意思表示ではなく申込の誘引であつたとしても、四十時間制による就業不可能を原告らが申出で、受領機関たる総支配人において、原告らの提供した部隊貸与の衣服等を受領したのであるからこれにより原告らの退職申込を黙示をもつて承諾の意思表示をなしたものである。

(六)  仮に右の掲示が被告の原告ら労務者に対する申込ではなく、かつ被告国との間に退職の合意が成立しなかつたとしても、労働基準法第十五条によれば使用者は労働条件明示の義務があり、その明示された労働条件が事実と相違する場合には労働者は即時に労働契約を解除することができる旨を規定している。横浜労管所長が行つた前記掲示も使用者の労働条件明示の義務に基くものであつて、この場合従来四十八時間制に基いて支払われていたものを四十時間制に切替えたために当然賃金切下げが生ずるので労働条件明示の義務が使用者に生じたわけである。このように労働契約に定めた労働条件と事実上行われる労働条件とが相違する場合においては労働者は一方的に労働契約を解除することができるのであるから、原告らの退職申出は右の解除の意思表示に該当し、被告の承認を要せずして雇用契約解除の効果を生じたのである。

元来横浜労管所長の掲示によつてなした表示は法的規範を有する規則としての効力を有するものと解すべきである。もつとも駐留軍部隊においては労働基準法に定めるような意味での就業規則は現在に至るも未だ存在しない。しかしながら労働時間、給与金、退職金その他の労働条件については調達庁その他の関係機関の定めた幾つかの規程があり、米軍部隊内においては従業員の守るべき事項を定めた諸規則があり、これらの諸規程ならびに規則は画一的に労働条件を定め労働秩序を維持するための必要上使用者の定めた規則であつて、たといそれが労働基準法にいう厳格な就業規則でなくともこれは実質上の意義における就業規則に外ならない。原告らはいずれも従来一週四十八時間制によつて給料を支払われることになつていたが、昭和二十八年十二月二十六日なした右の掲示は四十八時間制の四十時間制への切替にともなう暫定処置としての規則であつてそれは制定公布と同時に法的規範としての効力を発し、使用者と雖もそれに拘束される。被告国は右の掲示によつて退職の申出をしたものに対しては、掲示記載のとおり退職金、予告手当を支払うべき義務を有するに至つたものである。

しかして、右の掲示をなした後昭和二十九年一月十四日横浜労管所長名義の内容証明郵便をもつて取消の通知があつたのであるが、既に右の規則の有効中に退職の申出をなし、前記の金員の支払を受け得べき権利を取得した後になつてこれを消滅させることはできない。

(七)  仮に右の掲示によつて就業規則が制定せられたものではないとしても、従来より駐留軍部隊が基地を移動したため、勤務場所の変更を見るとか、その他労働条件が異つたためこれに応諾しないで退職する場合には軍命解雇の取扱をなすことが、本件部隊のみならず少くとも神奈川県地域の駐留軍関係労務者に対する取扱の慣習である。そして前記のように本件部隊において一週四十八時間制を四十時間制としたのは、一ケ月三千円乃至四千円の收入減となるのであつて右の労働条件が異つた場合に該当する。現に横浜労管当局は労働条件の変更であるとして、本件部隊労働組合に対して、労働基準法の規定によつて意見書提出を求めているのである。そればかりではない昭和二十八年十二月十八日乃至二十二日の頃米軍第八〇〇一部隊において高沢秀夫外三十一名が四十時間制に不服なため退職した場合、又第二港湾司令部において、四十時間制の実施にともない昭和二十八年十二月十五日乃至同月三十日までの間に前同様の事情で石川春治外約五十名が退職した場合いずれも軍命解雇としての取扱がなされていることをみても、それが慣習となつていることは明らかで、本件部隊に関しても被告国はこの慣習による意思を有していたものである。したがつて右の掲示に基いて退職の申出をした原告らに対しては被告国は右の慣習に従い軍命解雇の取扱いをなすべき義務がある。

(八)  仮に右の就業規則ないしは、慣習による意思表示が昭和二十九年一月十四日取消されたとしても、前記掲示には退職希望者を募集するという趣旨の文言がなかつたのであるから、このような場合、労務者としてはそこに示された退職条件を考慮して今後の生活方針を決定することとなる。そしてこの退職条件を前提として何か他の職に就くよう色々計画を樹てるものもあるわけであるから、このようなときに、その後特別の不可抗力という事情もなくこれを一方的に取消すことは信義則に反し無効である。

被告の主張に対し次のように述べた。

(イ)  駐留軍労務者に対する退職金規程は法律でないのは勿論、政令でもなく純然たる内部規準である。国家公務員に対する諸給与の額についての定めは国家公務員が公法上の特別権力関係上の身分を有することに基き定められたものなるが故に法令であるのであつて、駐留軍労務者は国に雇われるものであつても一般私法上の契約関係に基く身分を有するに過ぎないのであるから調達庁長官の駐留軍労務者に対する給与についての規準に関する定めは民間会社における給与規定と法律上の性質について何ら異るところはない。したがつて個々の場合において自己退職とすべきところを軍命解雇の取扱いとするなどの方法によつて規定の額を超えた支払をなすことのできることはその当不当はともかく法律上は自由であるべきであり、現にそのような支払のなされてきている実例がある。

(ロ)  被告主張の合意解除の事実は争う。原告らのうち幾人かは被告主張の通り退職届に捺印提出したけれども、それはその文言の内容を読まずに捺印したものであり、横浜労管当局が軍側に退職金支払の補償を得るために必要だというのでその趣旨の文書と思つて提出したのである。それ故その後間もなく提出文書の内容を知るやこれを悪用されるのを恐れ、直ちに原告らは改めて十二月二十六日の掲示に基いて退職する旨の退職願を作成しさきの退職願は出さなかつたこととしてその受理方を交渉し、同所長はこれを承認して受領した。なお自己退職の場合に相当する退職金額を受領しているけれども、原告らは軍命解雇の取扱による退職金の内払として二月上旬受領したのであつて、これを受領するに先だち一月三十日付内容証明をもつて、横浜労管が提供しようとする退職金は原告らの請求する金額の内金として受領する意図であることを明言している。また横浜労管の提供した一月一日より十九日までの給料については十二月二十六日の掲示の趣旨に添わないので受領を拒否した。したがつて合意解除の成立するわけはない。

(立証省略)

被告は「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

請求原因事実中

(一)は認める。

(二)の事実のうち、合意退職の点を除きその他は認める。もつとも、掲示の文言中に「人事」なる文言はない。原告等は同年十二月末日退職したものでなく後記のように別の事由で退職した。

(三)の事実のうち原告等が衣類、パス、免許証を返還し、総支配人に対して退職の意思表示をなしたこと、被告と原告等の雇用関係が私法関係であること、第八〇〇一部隊において原告主張の軍命解雇の取扱をしたこと並びに軍命解雇の場合に原告等に支払わるべき退職金と予告手当の数額が原告ら主張の通りであつて、退職金額の半額に相当する金銭の授受されたことは何れも認めるが、その余の主張事実は争う。労管所長は原告主張のような申込をなしたものでなく、またそのような意思表示をなす権限を有するものでもない。もとよりその主張のような合意をした事実はない。

元来駐留軍労務者の法律上の雇用主は日本政府であるが事実上の使用主は駐留軍である関係上、日本政府は労務者の勤務状態の詳細を関知し得ないので、解雇又は退職については軍側で解雇の必要を認めると、直接労務者に対し軍から解雇通知書の写を交付するとともに解雇の意思表示をする。この解雇通知書は軍から日本政府にあて、解雇のなされたこと並びに解雇の日時、理由、解雇予告手当支払の要否を通知する文書であつて、その正本は直接所管労管に送られる。労管ではこれに記載された解雇の日時に解雇がなされたものとして取扱い、その記載に従つて解雇予告手当、退職手当の支払その他の事後の処置をとることになつており、自発的退職の場合も予め労務者本人から部隊の担当者に対して退職を申出で、解雇通知書を交付する際解雇の意思表示をする代りに退職の申出を承認する。その以外の手続はすべて軍命解雇の場合と同様である。しかして、労務者が自己の都合によつて退職する場合は退職手当は連合国軍関係使用人の解雇及び退職手当支給規程によれば、退職手当は軍命解雇の場合の半額が支給されることになつているので、日本政府は自発的退職者に対して軍命解雇の場合と異なり予告手当と全額の退職手当を支払う義務はなく、そのような支払をすることは支給規程に違反するわけであるから、退職手当全額及び予告手当を労務者に支給するには軍によつて軍命解雇の手続がなされた場合以外には方法がないのである。以上のことは慣行として例外なく守られたのである。したがつて軍命解雇の手続がとられていない間にこれを予想してなされた本件掲示の趣旨は四十時間制の下で勤務に服することの不服なものに対して軍命解雇のなされるであろうことを予期して、解雇の希望者を募つたものに外ならない。

仮に軍命解雇の希望者を募つた趣旨でなくとも、右は雇用契約解約をなすための申込の誘引であつて申込ではない即ち本来自己退職とすべきものを軍命解雇取扱いとするには、軍側の予算に余裕のある場合に労務者の利益をはかつて行われる特別の措置であるから予想以上に退職の申出があり、予算上その措置をなし難い場合でも特別の措置を実行する趣旨のものではなく、むしろ退職の申出に対し採否を決定する権限を雇用者側において留保しているものというべきである。

仮に右の主張が容れられないとしても、調達庁長官が都道府県知事に委任した事務は調達庁長官の定めるところに従つて具体的事務を取扱うだけであつて、その定めを変更したり、新たな定めをする権限を付与していない。横浜労管所長は軍命解雇の取扱を受け得ない者に対してこれと同様の取扱をなし、前記支給規程の範囲を越えて予告手当及び退職手当全額を支払い、雇用関係を終了させるような契約を締結する権限は勿論その申込をなす権限を有しない。したがつて右労管所長のなした申込について被告国が責任を負う理由はない。

(四)の事実に対して

調達庁長官が都道府県知事に委任できるものは同長官の定めるところにより駐留軍労務者の雇入提供、解雇、労務管理、給与の支払に関する事務を行わせることであるから、労管所長の権限もその事務を行うこと以上に出るものではないばかりでなく、かつ仮に労管所長が原告ら主張のような権限を有するものと原告等において信じていたとしてもそれは法令の不知、誤解であつて正当な理由に基くものではない。

(五)の事実に対して

原告らが昭和二十八年十二月三十一日までに退職の申出をなし部隊貸与の衣服、パス、免許証を返還し、部隊総支配人においてこれを受領したことは認めるが、右は原告らの退職申出に対し軍命解雇取扱による退職を承認した趣旨ではない。

(六)の事実に対して

前記掲示が法的規範としての効力を有する規則を制定公示したものであるとの主張は争う。そのような表示をしても、かかる取扱いをするかどうかの権限を留保しているのであるから就業規則たるの実体を備えていない。

(七)の事実に対して

米軍部隊が基地を移動したため勤務場所が変更した場合、引続いて勤務することを希望せず退職を申出たものに対して自己退職としてではなく、軍命解雇として取扱うことが本件部隊において行われていたこと、高沢秀夫、石川春治らに対して原告ら主張のような取扱をしたことは認めるが、このような取扱は横浜労管管内以外でも通例であつたこと及び一般に労働条件が変更した場合それに不服として退職するものを軍命解雇として取扱うことが慣習となつていたことは争う。

昭和二十八年十二月十二日本件部隊労働組合に対して横浜労管所長から四十時間制の実施についての意見書の提出を求めていたことは認めるが、日本政府と全駐留軍労働組合の間に締結された労働協約第四十一条に「労働時間は原則として一日八時間週四十時間を下らず、四十八時間を超えない範囲内において現地各部隊の定めるところによる」との条項があり、本件の四十時間制も現地において右の条項に従つて勤務時間を定めたに過ぎず労働条件の変更ではない。

また前記掲示は原告らの主張するような慣行に従うことを表明したのではない。仮りに四十時間制の実施は労働条件の変更に該当するとしても、右掲示は軍命解雇希望者を募つたもの、又は申込の誘引である以上慣習に従う旨の表示ではあり得ない。しかも右の掲示は昭和二十九年一月十四日付通知によつて取消されている。

仮に昭和二十八年十二月二十六日の掲示が契約の申込であり、原告らが同月三十一日なした退職願が、これに対する承諾の意思表示であるとしても、右の合意は解約によつてその効力を失つている。即ち横浜労管所長から退職願の提出者全員に対し翌二十九年一月十四日付で前記掲示の追つて書を取消し、右の掲示に対する退職の申出を無効として取扱うから四十時間制の下で勤務するよう。なおこの際あらためて退職を希望するものは同月二十日までに申出るよう通知した。これに対して原告らからこの通知に応じて退職の申出がなされた。したがつて、右の通知及び退職の申出により前記指示に基いてなされた合意退職は双方の合意によつて解除されたわけである。もつとも原告らからさらにその後当初の掲示に基いて退職する旨の届出がなされたが、これが一月十四日付の通知に対する退職の申出、即ち後の退職に関する承諾の撤回の効力を生ずる理由はない。

(立証省略)

理由

原告らがいずれも横浜市中区並びに保土ケ谷区等に基地をもつ本件部隊の駐留軍労務者として被告国に雇用せられていたものであるが、昭和二十八年十二月二十六日横浜労管所長が部隊内になした原告主張の掲示(但し文言中「人事」なる部分を除く)に基き同年十二月二十一日退職の手続をとり部隊総支配人に退職の申立をしたこと並びに原告等駐留軍労務者は日米行政協定に基いて被告国に雇用され、労務を直接に軍に提供するものであるが、雇用関係は純然たる私法関係に外ならないものであつて、退職には軍の都合による軍命解雇と労務者自身の都合による自己退職とがあり、何れの場合でも軍が解雇通知書を作成し労務者に対して解雇の意思表示をなすと共に労管所長に右書面を交付し、所長においてこれに基き解雇の事務処理をなして国との雇用契約を終了させることになつていることは当事者間に争いない。

そこで先ず右の掲示によつてどのような行為がなされ、それがどのような効力を有するかの点を検討する。

証人飯島勝雄の証言によると、昭和二十八年十月下旬から十一月初旬にかけて全国的に駐留軍の予算削減に伴う駐留軍労務者の人員整理が避け難い状勢にあつたところ、同年十一月中旬駐留軍は人員整理によるよりは寧ろ労働時間を一週四十八時間から四十時間に短縮し、賃銀の切下によつてこれを解決する方針をとるに至つたので、四十時間制になると年末年始を控え賃金期末手当等にも関係するので、横浜労管当局では所管内の駐留軍部隊に対し四十時間制の実施は十二月十五日以降に延期されたいこと及び四十時間制に同意しないで退職するものについては軍命解雇の取扱をされたい旨の申入れをしたところ、第八〇〇一部隊では軍命解雇の取扱いをなしこの場合に相当する退職手当及び予告手当を支払うことの諒解を得た。労管がこのような方法で事務処理をなすのは次の理由による。即ち駐留軍労務者は被告国の雇用するものであつて給料退職手当等は国から支給されるものであるけれども、駐留軍からこれ等費用の補償を受けることが前提となつている関係上労管は労務者の雇入、解雇、給料額の決定など、すべて駐留軍の指示に従つてこれを処理しその指示又は諒解なくしてこれ等の事項を決定処理することはなかつたのである。そして軍命解雇と自己退職の場合には後記の通り労務者に支給さるべき金額に相違があつたので、その何れかの取扱をなすについては軍の指示又は諒解を要したのである。ところが本件駐留軍部隊では十二月一日になつて四十時間制を昭和二十九年一月一日より実施する旨の通知をなしたが、これによる賃銀切り下げを不満とする退職者を軍命解雇として取扱うかどうかについては労務士官の交迭等があつて軍の意図が明らかにならないうちに期日が切迫し、十二月二十七日は日曜日同月二十八日以降年末の休みになるので、横浜労管所長は十二月二十六日に本件部隊においても第八〇〇一部隊と同様の取扱をなすであろうことを予期し前記のような掲示をなしたものであること、ところがその翌年早々になつて退職希望者が意外に多数であつたため、部隊はその予算と作業の関係から軍命解雇の取扱をなすことの承諾をしなかつたことが認められる。

この事実と右の掲示の文言(「人事」なる文言があつたかどうかによつて差異はない)を合せて考えると、右の掲示によつてなされた意思表示の趣旨は一週四十時間制の実施に不服であるため退職を希望するものはその旨を昭和二十八年十二月末日までに部隊総支配人ら関係機関に申出ればこれに対して被告国が軍命解雇の場合と同様に取扱い、これと同額の退職金ならびに予告手当の全額を支払う旨の意思を表示したものと認めるのが相当である。もつとも、労管所長としては軍の諒解が得られないときは軍命解雇として取扱う意思でないことは前記事実により推察できるけれども、このことは単なる動機又は内心的期待に止まり意思表示の効力を左右するものではない。そして右意思表示自体は何等の留保又は条件のない確定的なものであるから民法第五百二十一条にいう契約の申込にあたると解すべきである。

被告は右の掲示は軍命解雇の希望者を募集する趣旨の告示であるが或いは契約の申込の誘引に過ぎない旨主張するけれども、右の掲示に記載の文言を募集又は申込の誘引と解することはできないしまたそのように理解できる状況において掲示がなされたものと認むべき証拠はない。

むしろ前記争のない事実によれば横浜労管管内の第八〇〇一部隊において本件掲示のなされた時の直前(その時期が昭和二十八年十二月十五日で退職申出期日が同月十八日であることは正しく作成されたものと認むべき乙第一号証の一の記載に照し明らかである)に勤務時間一週四十八時間制を四十時間制とするについて、不服のため退職を希望しその申出をなした全員に対して、軍命解雇と同様の取扱をした事実に鑑み、同一労管内の労務者である原告等においてこれと同様の取扱を受けることを予期したものと推認するのが相当であるから、右の掲示を見て同様の取扱をなす旨の合意解雇の申込と解したのは無理でないといわなければならない。

したがつて原告等が前記のように掲示に基いて退職の申出をしたのは、申込に対する承諾に外ならないものであつて、承諾の意思表示の到達した遅くとも昭和二十八年十二月三十一日に前記の取扱を内容とする雇用契約終了の合意が成立したものといわざるを得ない。

そこで右合意が被告国との関係においてどのような効力を有するかの点を考察する。

駐留軍労務者が被告国に雇用されるものであつてその関係は私法関係に外ならないこと、当事者間に争のない事実と調達庁設置法の規定によれば、駐留軍労務者の雇入提供、解雇及び労務管理、諸給与の計算支払をなす権限は元来調達庁に属するものであつて、同庁長官が被告国の代表機関としてその権限の行使に当るものなるところ同庁長官は政令の定めるところによりその事務の一部を都道府県知事に委任することができる旨の権限をも有し、昭和二十七年政令第三百号の規定によれば、右事務の範囲は前記長官の定めるところにより駐留軍労務者の雇入、提供、解雇及び労務管理、給与並びに福利厚生に関する事務を行うことと定め、これと昭和二十三年神奈川県告示第百六十一号、同二十七年同県告示第五四一号、同二十四年同県訓令第六二号によれば、神奈川県知事は同県内において前記事項に関する事務処理を調達庁長官から委任され更にこれを横浜労管所長外八箇所の労管所長に管掌させていることが明らかである。

右によれば、労管所長は私法上の雇用契約の当事者である被告国のために前記事項について単に事実行為である事務処理をなすように見えないではない。

しかしながら事務処理なる言葉は必ずしも事実行為に限られるものではなく、内容たる事項の性質によつては法律行為をも含む場合のあるものと解すべきであるので、右法令にいうところの事務処理が必ずしも事実行為のみに限られると解釈すべき理由はなく、寧ろ右委任事項が労務者の雇入、解雇、労務提供労務管理など広汎に亘る事実に鑑みこれ等に関する私法上の法律行為をも含むものと解するのが相当である。従つて右法令は国が地方自治体に右事項に関する事実行為のみの処理を委任(準委任となろう)したものというべきでなく法律行為をなす権限をも付与しているものと解して差し支えないものと考える。

次に右法令によつて地方自治体の職員が自己の意思決定により私法上の法律行為をなす権限を有するものであるか又は単に国の代表機関の意思表示を伝達するもの(使者又は履行補助者)に過ぎないかは当事者の意思を探求し、表意者の自由意思の範囲等を参酌し具体的に決すべき事実問題と解すべきであるので、この見地に基いて労管所長のなした意思表示及びこれをなす権限を考察するに、駐留軍労務者の雇入、労務の提供、解雇その他労務者の給与の決定支払等に関する事項は専ら労管所長が駐留軍の関係係官と接渉をなしその指示に基いて労務者と交渉の上、決定するのであつて、これについて知事又は調達庁長官から具体的の指示を仰ぐものでないこと及び知事及び同庁長官は被告国のために右雇用契約上の意思表示を自己の名義でしないこと、当事者間に争のない事実と証人飯島勝雄、木村真司(一、二回)の証言によれば、労管所長は被告国と労務者との間の雇用契約の締結、給与の決定及び解雇について駐留軍の指示に基いて被告国の代表機関と同一の立場において労務者と交渉の上これをなすものであることが認められるので、以上の事実を綜合すれば、たといそれが逐一駐留軍の指示に従うことを前提としたものであつても、雇用契約の締結給与の決定及び解雇等の事項に関しては労管所長は同所長名義でその自由意思に基いて私法上の法律行為の内容である意思表示をなすものであつて、これがそのまま被告国のなした法律行為としての効力を生ずるものであるから、同所長は単なる意思表示を伝達するに過ぎないものと解すべきでなく、被告国が神奈川県に駐留する部隊に提供すべき労務者と右事項に関する契約を締結するについて、調達庁長官は同県知事に代理権を授与し更に同県知事は横浜労管所長に(県内の一定の地区について)復代理権を授与したものであつて、同所長は結局被告国の復代理人たる地位を有するものと推断するのが相当である。そして右委任事項の性質上同庁長官は同県知事に復任権を付与しているものと解せざるを得ない。

してみれば労管所長は駐留軍の解雇通知書に基いて被告国の代理人として労務者と雇用契約の解約をなす権限を有するものと解すべきである。

原告等は軍の解雇通知書に基くと否とを問はず労管所長は軍命解雇の取扱をして労務者と解雇の合意をなす権限を有するものと主張し、或は調達庁長官において黙示により労管所長に右のように合意解雇をなす権限を付与していると主張するけれども、この事実を認むべき証拠はないから、軍が軍命解雇の取扱をしない労務者に対しては、そのように取扱うこととして合意解雇をなす代理権限はこれを有しないものといわなければならない。

したがつてこの点に関する原告等の主張は理由がない。

そこで更に原告等の予備的主張(請求原因(四)に掲記)について考察する。

横浜労管所長が軍の指示に従つて被告国の復代理人として労務者の雇入、給料の決定及び解雇等をなす権限を有するものであることは前認定の通りである。そして原告等が雇入、給料の決定について従来同所長と一切の交渉をなしたものであること及び第二港湾司令部、第八〇〇一部隊において使用される労務者について、その当時本件と同様の場合について原告主張のとおり軍命解雇と同一の取扱の下に労管所長が合意解雇をなしたこと当事者間に争のない事実並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告等が横浜労管所長において本件の場合に軍命解雇と同一の取扱をなして雇用契約を合意解約する権限をも有するものと信じ且つ信ずるについて正当な理由を有するものと判断するのが相当である。

そうだとすれば原告等が横浜労管所長となした前記の合意について被告国は民法第百十条の規定によりその責任を負わなければならない。

そこで次に右の合意は解約により消滅したとの仮定的抗弁について考える。

署名捺印部分について争いがないので、反証のない本件では全部真正に成立したものと認めるべき乙第三号証の一乃至八十一(退職届)と弁論の全趣旨によれば、横浜労管所長が昭和二十九年一月十四日原告等に対して軍命解雇の取扱をなすことの軍の諒解が得られないため退職の申出がなされなかつたものと取り扱い雇用契約を継続するについては更に退職を希望する者は同月二十日までに退職の申出をなすよう通知したところ、原告らは昭和二十九年一月二十日までに前記退職の申出を撤回し改めて自己退職の申出をなし二月上旬の自己退職の場合と同額の金員(軍命解雇の場合の退職手当の半額であつて自己退職の場合には予告手当は支給されない。)を受領したことを認めることができる。原告らのうち別表氏名の上に○印を付したものについては右の書面(乙第三号証の一乃至八十一)は証拠として提出せられていないけれども、原告ら全員が右の金員を受領している事実から原告ら全員提出したものと推断できる。)右事実によれば原告らは被告国と前記の合意の効果を消滅せしめる意思があつたのではないかと一応考えられるが、成立に争いない甲第三、第四号証と証人吉田善一の証言(第二回)と弁論の全趣旨によると、右は被告国が駐留軍より退職手当支払の補償を受けるため手続上必要であるとの労管職員の言により一月十四日付通知の趣旨に別段の注意を払わず手続上そのような文言を使用するに過ぎないものと考え、従つて改めて退職の申出をするのではなく十二月二十六日付掲示に基く退職として取扱われているのでその退職手当の内払を受ける手続上必要であると誤信して提出したものであつて、さればこそ右の退職届提出の後数時間を出ない間に以上の趣旨を明白にするため別個の退職届を横浜労管当局に提出し、更に右の金員を受領するよりさき一月三十一日付内容証明郵便をもつて右の趣旨で金員を受領する意図を明確に告げていること、かつまた一月十四日付通知記載のような一月十九日までの給与は受領していないことが認められるのである。してみると前認定の合意解雇が解約され改めて被告主張のような合意が成立したということはできない。

しからば他の争点について判断するまでもなく、原告らに対し被告は十二月二十六日付掲示の趣旨に基き退職手当の残額及び予告手当金を支払うべき義務がある。しかして右の金額が原告ら主張の通りであることについては被告国の争わないところであるから、その支払を求める本訴請求は理由がある。

よつてこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十六条により主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数 綿引末男 高橋正憲)

(別表省略)

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